万聖節前夜




 気付けば、青年は池の畔に腰掛けていた。

「……あれ? どうしちゃったんだろう?」

 解らずに首を傾げれば、その感覚に実体のある身体だと知る。声も、ちゃんと存在するものの音を醸し出していた。
 有り得ない状況に、「何か呼び出されるようなことあったかなぁ?」などと、彼は自分がここにいる状況の理由を暢気に考える。

 有り得ない──何故なら、彼は死んだ人間なのだから。

「さて、どうしたもんだろ?」

 自分がここにいるべきでないことだけは確実だが、ここにいるのは何かしら理由があるからだろうとも思える。

「これって動かない方が良いのかな? 無闇に動いて知り合いに見つかったら驚かれちゃうよねぇ」

 確か、ここは自分の里の中にある修行場の一つ。昔のことを思い出し、少しだけ懐かしい気持ちが甦る。

(あ、誰か来る)

 自分以外誰もいないと思っていた静かな空間に、草を踏みしめる小さな音が混じることに気付いた。段々と近づいてくるその足音は、どうやらここへ向かってきているらしい。

「さすがに任務の後の修行は疲れるってばよ……」

 茂みの奥から聞こえたのは少年の声。どうやら今まで修行をしていたらしい。
 子供であるならば、自分に会っても誰だと気付くこともないだろう。自分を象ったあの象徴は、こう言っては申し訳ないが全然似ていない。
 安堵した胸がそれでもざわめく。
 それは、聞こえてきたその声に何故かは知らず言いしれぬ期待のような物を感じたからだった。

(まさか…ね)

 一人だけ…誰よりも逢いたいと願っている存在が彼にはあった。そんな願いがあったから、よけいに気になってしまうのだと自分自身に言い聞かせる。

(期待なんてしてはいけない。そんな権利、自分にはないんだから)

 声だって、小さな…赤ん坊の泣き声しか覚えてない。小さな身体いっぱいで上げていた産声しか。
 それでも…と押さえきれない心は願う。

(でも……逢えるものなら逢いたい)

 声の主の姿が現れるのを青年は息を飲んで見守った。

「あれ? 先客がいるってば?」

 草むらから現れたのはオレンジ色の服に身を包んだ少年。彼は金色の髪を掻きながら、警戒することなく青年に近寄ってきた。
 月光に淡く光る金の髪。今は群青に見えるその瞳は、日の下で見れば空のように青いことだろう。
 澄んだ瞳でじっと見つめられると、自然と唇が動いた。

「……ナルト」

 小さな呟きのような声は、けれど、目の前の少年には届いていて、見知らぬ人物に名前を呼ばれた驚きに彼は目を見開く。

「何? 兄ちゃん、俺のこと知ってんの?」

 呆然と、青年は信じられない気持ちでその場に立ち尽くした。
 そこにいるその存在は、自分の最も逢いたいと願っていた存在だったのだ。

(ほん…とに?)

「兄ちゃん?」

 動かずに自分をじっと見つめる相手に心配になったのか、ナルトは青年に呼びかける。
 その声をぼうっと聞きながら、彼はゆっくりと思考を巡らせた。

(兄ちゃんって言われるような歳でもないんだけど)

 心の中で苦笑しながら傍らの池に映った自身の姿を見れば、忍服に注連縄を首に掛けた姿は二十歳ぐらいの青年だった。

(そういえば、死んだら二十歳ぐらいの姿になるとか聞いたことあったっけ)

 のんびりとそんなことを思っていれば、いつの間にかナルトは目の前に来ていた。
 見上げてくる視線をゆっくりと見返し、彼はその頬に笑みを浮かべる。

「こんばんは」
「あ…うん。こんばんはだってばよ」

 掛けられた挨拶に、ナルトも慌てて返した。こんな風に自分に挨拶してくる者など里にはいないと思っていた為に、その声には隠しきれない驚きが滲む。
 目の前に立つ青年をナルトは見たことがなかった。だが、彼が着ているのは木の葉の忍服で、茫洋とした雰囲気を醸し出しているが上忍であることが伺い知れる。

(見たことない…? んー…いや、なんか、どっかで会ったことがあるような気がするってばよ?)

 それがどこで見たか思い出せず、またこの目の前の人物だったかが定かではない。
 あやふやな記憶にナルトが首を傾げていると、青年から声が掛けられた。

「君、里の子だよね? 悪いけど、今日が何日か教えてもらえるかな?」
「へ? 何でそんなこと聞くってば?」
「恥ずかしい話だけど、長期任務で里を出ていたら、すっかり時間の感覚がなくなっちゃって。だから、今日が何日か解らないんだ。まったく、忍者のくせに駄目だよね」

 緊張感の無い声と表情で弁解すると、ナルトはポカンと口を開けた後、堪えきれずに笑い出した。

「まったくだってばよ! 今日は十月三十一日だってば」
「十月三十一日……」

 ナルトに教えられた日付に青年は思案するように口元に手を宛てていたが、暫くすると「ああ」と言って納得したように掌に拳をポンと打ち付けた。
 その様子にナルトは首を傾げる。

「今日がどうかしたってば?」
「ううん、何でもないよ。そう言えばそれぐらいだったなーって思って。……ところで、君、お菓子持ってる?」

 突然の問いかけにナルトは呆気にとられた表情をしたが、すぐに首を横に振った。

「そんなの持ってないってばよ」

 任務から帰ってすぐにこの修行場に来た為に、お菓子どころか食物と呼べる物は一切持ち合わせていない。素直に答えたナルトに、青年はにっこりと微笑んだ。

「そっか、じゃあイタズラね」
「えっ?」

 言うが早いか、青年はナルトの身体をその腕に抱き込んでしまう。抱き込まれた方のナルトはと言えば、当然のことながら青年の腕の中で藻掻いて暴れまくった。

「うわっ! 何するってばよーっ!?」

 叫んで暴れても力強い腕は緩まない。暫くするとクスクスと笑う声が耳に届いてきて、ナルトはからからかわれているのかと思って暴れるのを止めた。

「お菓子が無いんじゃ、これで勘弁してあげる」

 そう言われて、ナルトの頬にチュッとした音と共に柔らかい感触が触れる。それが何かという答えに行き着く間もなく、額や目元、眉間や鼻先にも同じ感触が落ちてきた。

「な…」

 ようやく開いた唇を、長い指先が押さえる。

「ここはやめておくね。本当に大切な人とするところだから」

 そう言いながらも、その指の上からやはりチュッと音を立てて唇が触れた。

「大切な人とするところ……?」

 ぼんやりと言われたことを反芻したナルトは、そこにまつわる過去の出来事を思い出して顔を赤く染めた。

「え? 何? もしかしてもう経験済み?」

 一瞬驚いた青年は、すぐに青い目を興味津々に輝かせて問いかけてくる。
 答えに窮したナルトは困ったように青年を見上げると、小さな声で尋ねた。

「あのさ、あのさ……やっぱココってば大切な人とじゃなくちゃ、駄目…だってば?」

 逆に問い返すナルトに、笑っていた青年の顔が強張りを見せる。ヒクリと引きつった口元はナルトの質問には答えず、更に深く問いかけた。

「……大切な人じゃなかったの?」
「一応、大切だけど……」

 言葉を濁すナルトに、青年の眉根が寄る。

「……何かな? もしかして、ふざけて男の子とでもしちゃった?」

 少しだけ剣呑になった声に気付かず、ナルトは言われた内容に更に顔を赤く染めた。

「なっ、何で解ったってばよ?」

 嫌な予感は的中し、ナルトの表情が更に追い打ちを掛ける。上目遣いで見上げる子供はひどく可愛らしく、複雑な胸中を抱きながら、青年は小さな身体にもたれ掛かった。

(男の子に奪われちゃうぐらいだったら、先に奪っておけば良かった……)

 とんでもない台詞は口中で呟かれただけで終わったが、さめざめとした気分で腕の中の子供を抱き締める。

(傍にいるわけじゃないんだから仕方ないんだけど……)

 それでも悔しさは消えなくて、青年は止めていた口づけを再開した。『大切な人と』と教えた場所以外の顔中に何度も、何度も口づける。

「くすぐったいってばよ」

 抗議しても行為が止まることはない。柔らかく抱く手は温かく、何度も降る唇はからかいではない感情を伝えてくるから、抵抗する気などとうに失せているナルトは、力を抜いた身体を目の前の人物に預けた。

(変なの…こんなことされてても全然嫌じゃないってばよ……)

 初めて逢ったはずのこの青年がナルトに向ける感情は温かくて、ひどく心地良い。

「ナルトは太陽の匂いがするね」

 金色の髪にも口づけながら、青年は小さな笑いと共にそんな感想を口にして、腕の中の小さな身体をギュウギュウと抱き締める。

「兄ちゃん、木の葉の忍者だろ? ……俺のこと気持ち悪くないの?」

(こんなに強く抱き締めて、お菓子がなかったからってキスまでして、本当に変わってる)

 それを自分は嫌だとは思えないけど、里の人間で自分のことを知っている者ならこんなことはしないはずだ。
 だから、やっぱり、この目の前の人物は変わっているのだろう。
 いつもは隅に追いやっているはずの感情を思い出し、ナルトが哀しい気持ちを覚えて俯くと、その様子と言葉に不思議そうな声が問いかけた。

「どうして?」
「どうしてって……」

 ──自分は里の人間からは忌み嫌われているはずなのに。

 問われた答えを言い出すことは出来ず、ナルトは唇を噛みしめる。
 その沈黙をどう思ったのか、青年はナルトの背中をポンポンと叩くと再び抱き締める腕に力を入れる。

「こんな可愛い子なんだから、抱き締めたくなるのは当然でしょ?」
「…………変だってばよ」

 青年の言葉に嘘など見当たらなくて、ナルトは小さく笑った。
 青年も釣られたように笑う。

「そうだ。『兄ちゃん』じゃなくて『注連縄』って呼んでもらえる?」
「何? それってば兄ちゃんの名前?」
「いや、通り名みたいなものかな?」
「そういや、首に注連縄付けてるなんて変わってるってば」

 ナルトは抱き締められている時に少しだけ痛く感じたそれを指さす。

「うん。生徒達にも言われたなソレ」
「注連縄…さんは先生なのか?」

 注連縄の口から漏れた言葉にナルトが尋ねると、注連縄は笑って頷いた。

「ああ。教えてたことがあるよ」
「じゃあ、注連縄先生だってばよ」

 呼び方が決まってホッとした様子を見せるナルトに、注連縄は小さく寂しげに微笑んだ。

「注連縄先生はどうしてここにいるってば?」

 任務から帰ってきたのなら、まずは里の受付所に行くべきだろう。誰かと待ち合わせでもしているのかと思って尋ねれば、

「う〜ん…万聖節の前夜だからかなぁ?」

 思っていたものとは違う答えが返って来て、ナルトは聞き慣れぬ言葉に首を傾げる。

「ばんせいせつ?」
「ハロウィンって知ってる?」

 ナルトは聞き慣れない言葉にブンブンと首を横に振った。

「知らないってばよ」
「万聖節は異国のお盆みたいなもんなんだけどね。ハロウィンはその前夜祭で、亡くなった人をカボチャの提灯でお迎えして飲めや歌えの大騒ぎをするお祭りなんだよ」
「……それって合ってるってば?」

 知らない国の行事とはいえ怪しげな説明にナルトが訝しげな表情で問うと、注連縄はにっこりと笑って「多分ね」と答える。

「でも、めそめそ哀しんでるよりは良いんじゃない?」
「そういうもんだってば?」
「うん。だって、好きな人が哀しんでる姿は見たくないでしょ。死んでたって、その人を好きだった気持ちは変わらないはずだからね」

 優しい笑みを浮かべながら言われた言葉には不思議と重みがあって、ナルトは暫く考え込むとコクリと頷いた。

「うん。何となく解る気がするってばよ。俺も好きな人達には笑っててほしいもんな」

 ナルトがそう言って笑みを向けると、注連縄もまた嬉しそうに微笑みを浮かべる。

「それでね、ハロウィンにはオバケとかに扮装した子供達が『Trick or Treat?』って言って、ご近所の家を尋ね歩くんだけど」
「とりっくおあとりーと?」
「お菓子とイタズラ、どっちにする? ってこと」
「あ!」

 さっきの注連縄の台詞を思い出し、ナルトは声を上げた。
 その様子を注連縄は楽しそうに眺める。

「解った?」
「でもっ! でもさっ! 子供がやるって言ったってばよっ!」

 注連縄の説明通りであれば、ナルトがお菓子を持っていなくてもイタズラされる義理はなかったはずだ。そして、お菓子代わりに顔中にキスをされる必要もなかったことになる。文句を言うつもりではないけれど、騙された気分は否めずにナルトは注連縄に抗議した。

「だって、僕は本物のオバケだもん。分はこっちにあるでしょ?」
「え?」

 注連縄が告げた突拍子もない内容に、ナルトは呆然とした表情で彼を見上げる。

「何故か今は実体があるんだけど、実は僕オバケなんだ」

 明るい声で言われても真実味などない。ナルトが疑わしげに注連縄を見つめると、その視線で言いたいことが伝わったのだろう。注連縄は口元に苦笑を浮かべ、肩を竦めた。

「信じられないのもしようがないよね。僕だって信じられないもん」

 注連縄の言葉に嘘は感じられない。ナルトは唇をパクパクとさせると、注連縄の腕をギュッと掴んで彼の言葉を確認する。

「……本当にオバケだってば?」
「うん。証拠はないけどね」

 自分の正体をバラしてしまえば、他でもない証拠になるのだろうが、それを口にすることは許されない。

「こんなに温かいのに……信じられないってばよ」

 信じられないと言いながら、それでも信じようとしているらしいナルトに笑みが浮かぶ。

「最初はね、ここに一人でいたんだ。死んじゃった身だから、うろうろするわけにもいかないしね」
「……寂しかったってば?」

 おどけるように説明する注連縄だが、自分が来るまでぼんやりと池の畔に座っていた彼をナルトは思い出し、切ない気持ちを覚えながら尋ねた。
 心配かけまいと思っての口調だったが、ナルトには通じなかったらしい。注連縄は苦笑を浮かべ、素直に頷いた。けれど、ナルトの心配は無用のものだった。何故なら、寂しかったはずの心はすぐに喜びへと変わったのだから。
 その理由を注連縄はナルトに教えた。
 どれだけその存在が救いになるかと教えるように。

「そうだね。でも、暫くしたらナルトが来てくれたから、寂しくなくなったよ」
「俺が来たから?」

 意外な言葉にナルトは顔を上げる。まさかそんな風に言われるなんて思わなくて、ナルトは胸の奥から嬉しさが沸き上がるのを覚えた。

「うん。一人じゃなくなったから、楽しかったし、嬉しかった」
「…そっか……良かったってばよ」

 安心したようにふわりと笑うナルトに、注連縄は切なそうに目を細める。けれど、それはすぐに打ち消され、今までと変わらぬ笑みをその面に浮かべた。

「そろそろ今日も終わるね」

 天空を見上げ、時を確かめる。傾く月は地上を照らし出し、その時間をも教えていた。

「帰っちゃうのか?」
「多分、今日はこの世とあの世が曖昧な日だったから逢えたんだよ」

 屈んだ注連縄は柔らかな金の髪に手を置くと、その感触を愛おしむように撫でた。

「ナルトに逢えて良かったよ」
「注連縄先生…」

 別れの近さが伺える言葉に、ナルトは寂しさを覚える。こんな短時間しか一緒にいなかったというのに、注連縄の存在はナルトの中で大きくなっていた──その別れを辛いと感じるほどに。
 こんなにも普通の人間と変わりないのに、やはりどこか違う何かを敏感に感じ取って、近づく別れの刻にナルトは口に出せない想いを表すように注連縄の服の裾をギュッと握りしめた。
 その様子が注連縄の胸を締め付ける。ただ偶然出逢っただけであるならば、そのまま通り過ぎれば良かったのに。せめて、『注連縄』としてナルトの前に現れただけで満足すれば良かったのに。
 別れの刻が近づくと、押し込んだはずの想いが欲をかく。もっと、もっとと想いを欲しがる。

「本当は違う呼び方をしてもらいたかったな……」

 自分で『注連縄』と呼ぶように言っておきながら、それでも諦めきれずに注連縄は呟いた。
 どこまでも自分は我が儘な人間だということを、しみじみと思い知りながら。

(だって、叶えてもらえる最後の機会かもしれないのに……)

 もうすぐ、この腕の中の子とはお別れの時間が来る。
 二度と逢うことは出来なくなるかもしれない。それは当然のことで、今のこの瞬間が奇跡でしかないのだから。

「違う呼び方?」

 注連縄の呟きに、ナルトは彼を仰ぎ見る。その顔は、自分で出来ることならば何でもするという表情だった。

(この子はきっと自分の願いを叶えてくれる。それを知っていて、願うのは罪だろうか?)

「……うん。本当に呼んで貰いたかった呼び方があるんだ」
「あ…注連縄ってあだ名みたいなものだって言ってたっけ? 本当の名前を呼んでほしいってば?」

 必死に尋ねてくるナルトに、注連縄は泣きたい気持ちを覚える。

(許されるかな……)

 躊躇いながらも口にしたかった想い。

「あのね…お願いを聞いてもらえるかな?」

 俯いたまま言葉を続ける注連縄は「ごめんね」と、心の中で何度も謝る。

(優しい心に付け込んでごめん。でも、どうしてもその言葉が欲しくて仕方ないんだ)

「すごい身勝手だって解ってるんだけど……ナルトにそう呼んでもらえたら……凄く嬉しいんだ」

「何だってばよ?」

 なかなか切り出さない注連縄にナルトが急かす。

「うん…『お父さん』って呼んでほしいんだ」

 ようやく注連縄の口から告げられた言葉は思いもかけないものだった。

「え…?」

 ぽかんと口を開いたナルトは、聞き間違いではないのかと問うような声を発する。

「おかしいよね。でも、死ぬ前に子供が産まれて……ナルトによく似た…金色の髪をした子だったんだけど……」

 笑った顔が泣きそうだった。それが、どれだけ彼がその言葉を切望しているのか伝えてくる。

「その子にね、そういう風に呼んでもらうことが出来なかったんだ」

 困ったように笑う注連縄に、ナルトは胸の奥が締め付けられた。
 何故だか無性にその願いを叶えてあげたかった。

(呼んであげたいってばよ)

 躊躇いに何度も口を開閉させながら、ナルトは唇を必死に動かして、慣れない言葉を紡いだ。
 それは、今まで口にすることの無かった言葉。

「おとう…さん」

 か細い、それでもその願いを叶えた音が注連縄の耳に届いた。
 真っ赤な顔をしたナルトが、注連縄をジッと見上げながらその反応を伺っている。

「……ありがとう」

 嬉しくて、我慢していたはずの想いが溢れだした。注連縄の頬に温かい雫が伝い落ちる。
 思いもかけず手に入れられた願いは、彼の心をこれ以上ないほどに満たしていた。

「凄く…凄く嬉しい」

 嬉しくて死にそうだなんて思いながら、既に自分が死んだ身であることを思い出して注連縄は小さく笑った。

「ありがとう、ナルト」

 言いながら、注連縄はナルトの髪に口づける。紅くなった頬や、目元、額や鼻先まで。

「いつでもナルトのこと見守ってるから」

 与えられる感触を困ったように受けながら、ナルトは痛む胸を堪えながら告げた。

「……俺よりもさっ、本当の子供のこと見守ってやれってばよ」

 今だけ、彼の願いを叶えてあげただけなのだから。彼が想いを向ける本当の相手は別にいるのだから。
 そう、自分自身に言い聞かせる。

(注連縄先生が本当に俺の父ちゃんだったら良かったのに……)

 こんな風に想ってもらえる、この目の前の人の子供がナルトは羨ましかった。

「…そうだね」

 言い出せない本当のこと。こればかりは告げられない真実。
 その子供が自分の目の前にいる存在なのだと、なりふり構わず叫んで抱き締めたかった。

(……本当に身勝手だな。こんな風に彷徨い出てまでこの子を困らせてしまうなんて)

 哀しそうに笑う注連縄に、ナルトは何故彼がそんな顔をして笑うのかが解らなかった。そんな風に笑ってほしくないのに、自分ではもうこれ以上彼を慰めることが出来ないのかと思うと、ナルトは哀しさと無力さに拳をギュッと握った。

「ああ、もう時間だ」

 注連縄の言葉が真実であることを教えるように、その身体はぼんやりと光を放ちながら薄れていく。
 その言葉に焦って顔を上げたナルトは、思わず叫んでいた。

「また! また来年の今日もここで待ってるから!!」

 ナルトの言葉に注連縄が驚いたような表情を浮かべる。

「……だから……また逢おうってばよ?」

 泣きそうに歪められた顔はそれでも堪えるように笑っていて、小さな手は注連縄に向かって振られていた。

『ありがとう』

 嬉しそうに笑った注連縄の顔がナルトの瞳に焼き付く。

 ──そして、それはすぐに大きな光を放って消えてしまった。















「なぁ、カカシ先生、ハロウィンって知ってるってば?」

 休憩の合間にカカシの傍に近寄ってきたナルトは、そんな質問を投げかけてみた。

「ん、ああ。そんな行事もあったねぇ。でも、それって異国の行事でしょ。何でお前が知ってんの?」

 聞いたことはあるが、木の葉の里ではそのような行事を知っている者は少ない。怪訝に思い尋ね返せば、ナルトは信じられない台詞を返してきた。

「昨日、幽霊に逢ったってばよ」
「はぁ〜?」
「だから、幽霊だってばよ! その幽霊がハロウィンはお盆みたいなもんだからって出てきたんだってば!」
「……夢でも見てたんじゃないか?」

 幽霊の存在を信じるほど子供でもなく、カカシは至極当然な指摘をすると、

「ちゃんと起きてたってばよ!」

 疑われたことを不満に思ったナルトは頬を膨らませて抗議する。

「はいはい。で、どんな幽霊だったって?」
「木の葉の忍者で、金髪で首に注連縄を掛けてたってばよ」
「ブッ!!」

 ナルトが告げた幽霊の容貌にカカシは思わず噴き出してしまった。

「先生?」
「あー…と悪い。で、その幽霊に何かされた?」

 突如信じる気になったカカシに首を傾げながらも、ナルトは更にとんでもない言葉を続ける。

「抱きつかれて、いっぱいキスされたってばよ」

 寄りかかっていた木にカカシは頭をガンとぶつけた。

(間違いない……あの人だ)

『ハロウィン』という単語も、確かかなり遠い昔に彼の人に教えてもらった気がする。
 妙な所で博識だった自分の師を思い出して、カカシはポリポリと頭を掻いた。

「それでどうしたんだ?」
「今日になったら消えたってば。でも、来年もまた逢うって約束したってばよ」

 嬉しそうに笑って言ったナルトに、カカシは思わず目を瞠る。
 多分、彼の人の性格とナルトの言葉からして本当のことは交わされていないのだろうけれど……。

「そうか…。じゃあ、忘れないようにしないとな」

 目を細めて笑うカカシに、ナルトは満面の笑みを浮かべて頷く。

「ぜーったい! 忘れないってばよ!」

 そう誓ったナルトの元気な声は、里中に木霊したのだった。













ハロウィンネタだったら可愛く楽しいものを書こう! と思っていたのですが、どうしても湿っぽい話ばかり書いていたせいかやはり湿っぽい話になってしまいました。四代目(とナルト)が少しでも幸せになってくれれば良いなぁ…と願いつつ。ハッピーハロウィン?
ちょっと途中一カ所がサスナルな感じだったりしてスミマセン。

サクヤ@管理人
2004.10.31UP